ところでこれが俺の夢です2

flow-of-spirits.hatenablog.jp
こんばんは。昨夜の続きを話します。「接続詞を使わない人になりたい」という話です。
接続詞は、自分の意思や思考の過程を他人に伝えやすくするために使うものだと思っています。
「分かりやすくするための道具」と言いましょうか、「補助的なもの」と言いましょうか、そんな風に捉えてます。
極端なことを言えば、接続詞なしでも思いや感情を相手に伝えられるんじゃないかと思います。
複雑なことを伝えられなくなって不便になりそうだし、それをやってのけるのは難しいと思う。展開的話もできなくなると思う。
接続詞なしでも思いを伝えるには、素直で順当な道理に沿った思考が必要になると思う。
※現状「スピリッツの言葉が聞きたい」とは誰からも求められていないから、接続詞を使う使わない以前に会話が皆無なのだが。笑

こういうことが夢というか理想である。
いつからか俺はコミュニケーションの窓を閉め切ってしまったのは、
「きみは何を言ってるの?」と理解されなかったり、同級生から少し距離をとられることもあったからか。
「風呂、飯、寝る」の三語を経て、いつの日かしゃべることをやめてしまう気がしないでもない。
理解者の登場を信じてしゃべり続けるという過酷な道もありそうだが、どうなのだろうか。

余談ですが、ツイートしたことは心から思ったことなのだが、
「私の夢は(中略)。そして~。」と言う風に、
「私の」「そして」をそのツイートで使うことが面白いと誤解している自分が恥ずかしく、また後悔もしております。
素直に「一人称を使わない人間になること、接続詞を使わない人間になることが夢です。」でよかったものを。
スピリッツ