例え話は最終的にエンタメとなるのでは

相手に話を伝える時に使う「例え話」、その成れの果ては面白いかどうかに行き着くと思う。情報の伝達は事実が全てだと、そう考える。
理解や共感を求めて例え話を混ぜるとたちまち事実が霞んでいく。例え話を引き合いに出して説明するということは、そのものを100%忠実に表現しているわけではない。第三者がその例え話を聞くことによって「わかった!」と思ったなら、それはわかったのではなく「(実際は誤解しているのだが)わかった!」ということのように思われる。
例え話をしない人は相手を信頼しているか、もしくは諦観という姿勢をとっているのかもしれない。
受け手側に対して理解しようという努力を強いる気がする。
分からなかったらそれまで仕方ないか、という話か?
例え話は同じレベルに合う人間同士なら余分なもののように思える。
もしそうだとしたら例え話の成れの果ては面白くて笑えるかどうかのエンタメになるんじゃないか?と、そんなことを考えている。

※今回のブログ記事だけは「例え話ゼロ」に仕上げたいので、再び加筆修正します。
スピリッツ
(加筆修正 平成29年12月10日)