ところでこれが俺の夢です

ちょっと前にツイッターでつぶやいた。

昨日再始動したブログから一人称を「私」から「俺」に変更した。以前とは違う自分になる必要性を感じたんだと思う。
普段の話し言葉では一人称に「俺」を使っているから、書き言葉の一人称も「俺」で統一するという運びになった。
「統一した」というよりは「なった」というほうが正しいのかもしれない。成り行きに任せた。
将来的には一人称を使わない人間になりたい。
ほんの少しだけ気を付ければ1秒でなれるが、その気構えを常時保つという境地にはまだまだたどり着けそうにない。ゆくゆくの目標。
思うに、話すときに一人称をたくさん使ってしまう人は、自己主張?エゴの強い人みたいに映るのでは、と懸念しているからだ。

そしてもう一つの心配事、身に余る一人称を使わないように気を付けている。
(例えるなら「先生は~」「お父さんは~」などである。)
自分で自分のことを「先生が学生の頃は~」と喋り出す教師にロクな人間がいなかった覚えがある。
いつの間にかそのものを代表して発言するような大人になってしまうことを俺は恐れている。
行き過ぎた自己主張をしない大人でありたい。必要以上に自分を大きく見せない大人でありたい。

「接続詞の使わない」というお話を翌日のブログでさせていただきます。
敬体と常体が入り乱れましたが、どうかお許しください。
今日の俺のブログはこれでおしまい。
スピリッツ
(2017年12月8日 加筆修正)