出会いと別れ
「出会いと別れ」この言葉の使用を控えている。*1
この言葉を使う彼らは、どんな思考に基づいて「出会いと別れ」を使っているのだろう。*2
出会いと別れの共通点を考えてみた。
「時期が春」「一時的に心への負荷(ストレス)が生じる」「普遍性がある」「一度だけ」
そのものズバリな共通点が思いつかない。*3
他人の本心は当人にしかわからないから考えるだけ無駄。*4
出会いも別れも一度きり。
出会いの瞬間は認識ができる、それは大抵初めましての瞬間。
僕にはやり直したい出会いがいくつもある。
当時を懐かしんで(もっと懸命に生活していれば)なんて考えたりもする。
満足いく出会い方が一つもなかった。*5
漫然と呼吸するだけの日々、死んだ人生を生きてきた。
現状の自分に引け目や落ち度を感じていて、まだ訪れぬ出会いに怯えている。
別れの瞬間は認識できない。
別れは何者かによって知らされ(あれが最期の別れになったのか)と独りつぶやくようなもの。
なんとなく「じゃあね」とバイバイしたのが最後、なんてよくある別れの話。
別れで悔やみたくないなら日頃からしゃんとすればいい。*6
そういうことを理解してる人は一期一会を大切にしてるんだろうな。
幸い僕はまだ後悔するような別れに直面していない。
この怠惰な生活が続けば僕の出会いは後悔が増える一方。
だが出会いも別れも心構えの準備はできる。
僕がすべきは現在を翻然と悔い改めること。
生きているということ
僕は、好きなものを公表することをさえおそれる。
明々白々な悪意であれば嫌いなもので攻めてくるから対処のしようがあるけど、
秘められた悪意は好きなもので近寄って背中を預けた瞬間一振り一太刀でお仕舞いだ。
隠された悪を注意深く拒むこと。
日常的に微笑を携える女優より、不満を顔に出す女優に安心するのもそれと似たような原理か。
人生で女優と関わることなぞ考えたこともなかったが「女はみんな女優」という人もあったから気を引き締めた。