ツイッターに投稿したけど10分で消したツイート

私が神様だったら「しあわせになりたい」という願いより「しあわせにしたい」という願いを優先して手助けしたい。まあ「しあわせにしたい」と思ってる人は願っていないで既に行動してるんだろうけども。(私が神様だったらの話ね。笑) 私にも「しあわせにしたい」という存在ができるのだろうか?

呼称から窺えること

私見だが、呼称のされ方の種類が豊富な人物は、周りの人間から「魅力的だ」と思われている確率が高い。これも私見だが、フルネームで呼ばれている人物は、「ものすごく愛されている」か「ものすごく憎まれているか」のどちらかである確率が高い。(発語しやすいフルネームかどうかの運も関係してくる。) どちらも検証をしてないが、それほど間違いではない推察だと思っている。かくいう私は……少年時代は「名字+くん」で呼ばれる、いわゆるモブキャラ的存在だったが、青年時代は「名字+さん」と呼ばれる、出来るだけ距離を置きたくなる変人的存在(謎的存在?)だった。

【思い出】
数年前に小学生時代のプチ同窓会みたいなのがあったから参加したんだけど、当時はあだ名で呼び合う仲だったのにその同窓会では私のことを「名字+くん」呼びしてきた。えもいえぬ感覚。私は自身をそれほど変化してないと自覚していたが、相手はそう思わず私から何かを感じとったんだろうな。
【思い出~完~】

中学時代の人や高校時代の人と偶然街で再会するはず。そのとき私は相手を当時と同じ呼び方で呼ぶのだろうか。相手は私を当時と同じ呼び方で呼ぶのだろうか。

パンツとズボンにおける問題。

とても感覚的話題なんだけど、重ね履きについて告白する。
学生時代のジャージを部屋着として使っていて思い出したことだ。
短パンを履き、その上に長ズボンを履く。重ね履き。
これをするとなぜか助兵衛な感覚が芽生える。
「短パンを履く」「長ズボンを履く」
独立させればどちらの場合も何ら感じないのだが、
「短パンを下に履き、その上に長ズボンを履く」と、おかしな気持ちになる。
ものすごくいけないことをしているようで。
どうにも表現がみつからないのだが、とにかく変な気持ちになる。

ヘンテコなブログ記事となったな。笑
だが日記を他人に披露する行為がそもそも狂ってるんだ。今に始まったことじゃない。いいじゃないか。

もしこの感覚で私が女子中学生だったらスカートに短パン(体育のハーフパンツ)で平穏な生活は難しかったかもしれない。命拾いした。
ちなみにロングTシャツ・Tシャツではこういった感覚が生まれないのであしからず。
そういえば「ロングTシャツを着て上にTシャツを着るダウンタウン浜田雅功スタイル」を初めて試したときはものすごく恥ずかしかったな。